今日は。

このページの作成者は、舞踏家・踊り手・ダンサーです。

コンタクトを歓迎します。 
メールはSPAMs@gotoh.comのSPAMをとったものでs@・・・・・・・・です。(迷惑メール対策です)

2007年7月20日(金)〜29日(日)に出演予定があります。 黒沢美香&ダンサーズの公演です。
     → 最新情報 をご覧下さい。(↑親ページ http://www.k5.dion.ne.jp/~kurosawa/
       どの作品も、”きらきらと”もしくは”ぎらぎらと”明るく清らかに、虎視眈々と、踊り踊っています。
       是非お越し下さい。お待ちしています。

 

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週刊新潮11月9日号 通巻2570号

百年目の舞踏家


白い裸体を前に、車椅子の老人はまさに立ちあがらんと、僅かに身体を震わせた。
大野一雄、100歳。
白塗りの「暗黒舞踏」で世間を驚嘆させた故・土方巽とともに世界にその名を馳せる前
衛舞踏家である。
10月27日は、この大野氏の100歳の誕生日。「大野一雄フェスティバル」と銘打ち、世
界中の舞踏家が横浜のホールに集まり、様々な演技を披露したのだが、動かずとも、語
らずとも、やはり100歳の大野氏の存在を凌ぐ者はいなかった。
なぜなら、土方巽はこう残している。「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」−そ
う、大野一雄は今、畢生の舞踏の最中にあるのだから。 撮影 伊藤 論

 

 

 

◆見てくださった方の感想をブログで発見しました。
 転載させていただきます。

http//blog.livedoor.jp/assimilate/archives/200610.html
信念をおもう
「たとえ、すべての人から否定されても、また知られなくても、
君は君の信念と理念に忠誠を誓い、生きて下さい。
人はその生きざまを見て、何かを得るでしょう。
それが人に何かを捧げるという事だと思います」
・・・今日、こんなような言葉を友人におくった。
これは一人の友人のためではあるが、すべての人へでもある。
もちろん自分に対してでもある。
じっさい、自分を貫くのはむずかしい。
しかし、むずかしいからといって「まあいいか」と思ったら
とんでもない事である。
僕は先週、多くの「自分の信念に忠実に生きる人達」と会った。
多くは芸術家であったり、いろんな創作家であったりしたのだが、
それは一般人でも変わらないと思う。
人の目を気にせず、一生懸命生きてる人は素晴らしい。
その中で、印象的な一人の踊り手を観た。
白塗りで全裸で全身微動だにせず、五分間、ただ立ち続けていた。
集まっていた多くの人からは、喝采もあり、ひやかしの罵声もあり、
まったく無視する人もあり、
主催者と関係者は「もうステージから降りてよ」って言ってる。
でも彼は降りない。
僕は一種の感動を感じたな。
あとから聞いた話だと、けっこう有名なダンサーらしかった。
その人が、その人らしからぬとんでもない表現をした訳だ。
しかし、その場では一つの必然があったのだろう。
かなり多くの人が見ていたので、彼のいままでの業績は
その日ですべて消えてしまったのかもしれない。
しかし、きっと彼は自分の経歴とか名声とか、そんなものを
一切を捨てていたのだろう。
・・・うん、、、良かったな。
僕は大きな拍手を贈っていた。
ところで今日はいつもと同じ、高速道路下での演奏を三時間。
そのうち一時間くらい、タンバリンを叩きながら踊っていた。
その時はそんな必然性があったのだ。
もし、昔のドラムソロ時代の僕を知ってる人が見たら
「ええ〜? やめてよ」って思うかもしれん。
それでもいいのだ。
自分の理念に従い、いろんな精霊達が自分に宿り、
結果として身体が動いたのだからしょうがない。
自分の生きざまを隠さず見せること..
それすなわち、人に何かを捧げることと思っている。
さらなる進化を期待してくれたまえ!
全裸になるかもしれぬ。
その時は思いきり罵声を浴びせてくれ。
それでこそ「見せ物」としての意味と価値があるってもんだ。

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