Quel est ton  tourement? 今日(2002年2月4日)、NHK教育で大江健三郎の公演を放送してました。そこからの話を聞いて後藤が書きました。

キリスト教の教団から、「みんながもっとお祈りをするようになるには、どうしたら良いだろうか?」という質問をフランスの哲学者のシモンヌ・ベイユ(シモーヌ・ベイユ/シモーヌ・ヴェイユ/シモーヌ・ヴェーユ)が受けました。
彼女は考えた末、答えたのが、「Quel est ton tourement?という投げかけが、みんなから出てくるようになること。」です。

さて、Quel est ton tourement?の意味はあとで説明するとして、そこに至る過程は次の通りです。

人が、お祈りをしようと思うためには、「気付くこと」が始めです。気付くためには、注意深くなければなりません。
それが、お祈りをするための準備であり、準備が整うことが、スタートだと考えました。
気付くこと・・。何に気付くのでしょうか?
注意深く生活を送ると、苦しんでる人に気付くでしょう。自分に対してもいろいろ気付きます。自分が苦しんでいることにも気付きます。世界に対しても意識は広げられるでしょう。

さて、Quel est ton tourement?とは、「どこか、悪いんじゃないの?」「だいじょうぶ?」といった身近な人に対する投げかけの言葉だそうです。

<大江健三郎が公演した学校の校長先生のコメント  http://www.shibuya-makuhari-h.ed.jp/mk-enju/mke149a.htm

少林寺拳法の練習は、注意深くなり、気付くことの訓練だと考えます
気付く訓練のために、いくつかのことを決めています。
却下照顧は、靴の乱れに気付くことを訓練します。道場で衣服をたたむことも、訓練の一つです。自分なりに他に設定することも良いと思います。
技術の練習では、相手の心を感じる訓練をしています。相手の全体を観る・感じる訓練をします。
以前にも書いたと思いますが、毎日2時間練習しても、週で14時間にしかなりません。
生活が練習に結びつけば、1日でそれ以上の時間、練習できます。

苦しんでる他人、苦しんでる自分、戦争の恐ろしさとそこで発生している多くの苦しみに気付くことが出来るようにもなるとおもいます。

気付かないようになる練習をしないこと
私には、気付いたんだけれど、自分に言い訳をして、やらなかったことがあります。それを削ることも大事です。
「靴をそろえようと思ったんだけど、みんなの前でやるといろいろ聞かれて面倒だし、今日は人が多くて、そろえてもすぐ乱れてしまうし、やめておこう」とか、自分で自分に理由をつけてしまうものです。
これは、せっかく気付いたのに、どんどん、気付かない方向に訓練をしているようなものです。
これを積み重ねてはいけません。
ただし、なんでもかんでもやろうと思うと行き詰まりやすいです。自分の今の出来る範囲の最大をうまく目指すのが大事です。そこの調整は確かに難しいです。

気付きの次にあるもの
少林寺拳法では、気付いた後に行動に移すことを訓練します。
拳禅一如という言葉にもそれは内包されています。拳=行動・禅=気付きとも言えるでしょう。
気付き→行動から、気付き=行動としていきます。そうなると、行動でストップをかけると、気付きにストップがかかってしまいます。だから、それを削ります。

最後に2つ
1.大江健三郎のことば
(おぼろげな記憶で書いているので実際の言葉とは違っています)

人生で自分がピンチだと思う時がある。
そういうときに、注意深くなることがそれを乗り越えるために重要だと思う。
私は、君達より長く生きてきて、そう思うようになった。
(後藤注:公演の対象は中学生です)

2.世界の状況(少林寺拳法東京都連盟の「東京ト都レ連ンド2002年2月号」より抜粋)

合掌 朝日新聞「天声人語」よりアメリカの一教師が生徒宛に出された文面を紹介します。これは日本でもベストセラーになっています。
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。それは・・

▲57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。▲52人が女性、48人が男性▲70人が有色人種で30人が白人▲6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍▲80人は標準以下の居住環境に住み▲70人は文字が読めません▲50人は栄養失調に苦しみ▲1人が瀕死の状態にあり▲1人はいま、生まれようとしています▲1人は大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピュータを所有しています。

もしこのように縮小された全体図から私たちの世界を見るなら相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そしてそういう事実を知るための教育がいかに必要かがわかるはずです。
また次のような視点からも考えて見ましょう。
あなたが今朝、目覚めたとき、病気でなく健康だなぁと感じることが出来たならあなたは今生き残ることの出来ないであろう100万人の人たちより恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、屋根があって寝る場所があるなら、あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。もしあなたの両親が共に健在で、しかも2人がまだ一緒ならそれはとても稀なことです。
(以下略)

 

シモンヌ・ベイユについて

井上陽水と糸井重里の会話  <全文は  http://www.1101.com/bad/08.html>


井上
 それ、あるよねえ。
 だいたい、絶対正論っていうのは怪しいもん。
糸井
 怪しい!
 あくまで“その人の”正論なのよ。
井上
 そうなの。
 正しい話は怪しいのよ。
糸井
 だから、そうじゃない生き方をしてる人を見ると、
 ジーンとくるんですよ。
 たとえば、正論とか言う人のこと考えたときに、
 「本当にやれよな!」って言いたくなるじゃないですか。
 今の時代に生きてて、エラそうなこと言う人に。
 で、本当にやった人の話って、時々ありますよね。
 シモーヌ・ベイユのように。
 それこそ、裕福な家に育って、
 ものすごく学問を追及してて、
 工場労働者になっちゃったというね。
 で、「それが私の生き方なんだ」と選んだ人がいると、
 それはそれでどういう構造なんだろう?
 と気になるわけですよ。
 ……でも、それも違うよね。
 「辛ければ辛いほど、私の魂は磨かれる」と言われても、
 人に押し付けられないじゃないですか、それは。
 僕、けっこう、井上陽水型な部分もあるんですよ。
 だから、問われると困るんです、いつも。
 井上
  (笑)鏡を持って……と。