境界線上のアート  麿赤兒  高松市美術館での公演より (無尽塾 後藤転載)

 ”境界線”という言葉がよく言われる。それは様々な所にあるのだが、あちらとこちらとを区別することは難しい。美術や演劇、あるいは政治や経済などのあらゆる分野で、境界線や自分たちのアイデンティティの所在がわかりにっくくなってきている。そこで私は、自分自信にとって一番身近である”踊る現場”での肉体との関りに限定して、この問題を考えてみたい。

人間の”行為”とはモノやコトの関りであるが、そこでは、手や足が行う仕事は、おおよそ規定されている。それはなぜなのか。こらが25、6年前の私の疑問であった。つsまり、自分の今までの”行為”を疑うことの何かを”表現する”のではない動きを、あるいは動かないことを試みてみた。いわば身体を呪縛することによって、多分に原始的で突発的な動きが生まれ、それはある種のリアリティーをもって見えて来る。しかしそれでもそこにはまだ何か目的があるように思えてしまうのだ。

人類が長い時間の中で最も合理的なものとして身につけた、擬似的で現実纏足的な”日常行為”は綿々と現代まで続き私達を規定している。しかし私は、それとは別のところに何か変なものがあるのではないかと考える。肉体ではなく”肉”を転がすような状態、たとえば赤ん坊が転がっているような状態、つまり”日常の行為”の統制下にはない未分化かつ不可思議な状態にもどしてみること、そのようなことを20年ほど行う中で体系的なものが少し出来てきて、踊りを引き出すいくつかの方法や可能性を見出すようになった。

社会生活における”日常行為”と同時並行して、”行為”にならない、名づけられない”身振り”が存在すると私は考えている。これは普段は”日常行為”の下に潜んでしまうのだが、何か突発的な事件などによって一次的に越境し動きとして現れる。例えば包丁で手を切ってしまった時、アツツツッと行く前の”ア”がそれである。これはもちろんすぐに”日常の行為”に抑えられてしまうのだが、この一時的な亀裂として、の”身振り”の表出が踊りの入り口である。私は、その”身振り”の豊穣さに魅入られたのである。舞踏とは”日常の行為と”身振り”の位置を逆転させることだ。一瞬の空白の空間や時間。舞踏への扉はいつも転がっている。そのような未分化で豊かな”身振り”を採取することが私にとって、ひとつの柱となっている。これらの”身振り”を、例えば勘やセンス、あるいは技術によってつなげていくことによって、演劇とは異なる別のドラマが構築される。

ふたつめの柱は”鋳態”である。例えば、日常の中で突発的に生じる小さな事件によって、誰でも一瞬体が固まったようになってします。このいわば”瞬間のフリーズドライ”された動きが”鋳態”であり、私はそこに小さな踊りの要素を見出している。この”鋳態”を作り出す”鋳型”、つまりある種のパターンをもった動きによって形成される鋳型、喜んだり怒ったりする情念の鋳型、時間すなわち生きた歳月による鋳型。舞踏では、これらの様々な鋳型による”鋳態”を、壊さないように人前へと運ぶのである。

もう一つの宇宙は”宙体”である。言葉遊びのようになるが、英語ではSPACE BODYと訳されたりしている。これはつまり、本来実態と考えられているものを空虚なものと考え、何もない空間の方を実体として意識するという実体の入れ替えである。”おかげさまで”という言葉があるが、なにもかもおかげさまでということにするとどうなるのか。すなわち、すなわち、自分たちの肉体を空洞であると考え、周りの空間に密度のある何かを想定する。名にもかも何かを孕んでいる。この空間に孕む何かが”間”である。””は”魔”に通じ、また”魔”とは”神”を意味する言葉でもある。自分を空洞にし、この””を体内に流入させ住まわせてみる、飼ってみる。このときには私が踊っているのではない。彼らが私のからだを動かしているのだ。

このような二つの柱のコンビネーションによって、従来にない新しい表現が生まれるのだ。最初はただ肉体を無為に放り出すことから始め、25、6年間の間にこつこつと模索しながら編み出してきたもの。これが”越境”なのかどうかは定かではないが、それらの融合が私の舞踏であり、大駱駝館の”天賦典式”なのである。

 

関係者の方へ(無尽塾の後藤@渋谷在住 が無断転記しました。問題があったら言ってください)