(とん。むさぼり。執着)

(しん。自己中心的な怒り)

(ち。愚かさの意味で、あらゆる事物の理に迷う愚かな心。無知(ここでいう無知とは真実を知らないということ)。恨みや妬み。三毒の中で最も根本となるもので無明(むみょう)という。)

以上、どちらかのhpから借用しましたが、アドレスがわからなくなりました。が良い言葉だと思うので、掲載させていただきました。ご迷惑でしたら、ご連絡下さい

 

この三つが、何か良くないもの(そこに関しては、ここでは触れません)の代表として、挙げられます。
学生時代から、ずっと心に引っかかってます。
とくに、貪と瞋は、社会に出て、必要なことじゃないかと、思ってました。
本質的に、人は貪るように、その欲望を実現しようとしていて、そのエネルギーになるのが、怒りだと思ったのです。
しかもまさに、自己中心的な怒りこそが、経済を拡大させ、戦後の日本の復興をもたらしたのだから、なぜこれを否定するのだろうか?と
私は、学生時代はバブル経済の真っ只中で、その時の状況のなかでは、これらを否定することに、どうにも実感が持てませんでした。

学校を出て20年ほど経って、いまでは、怒ることの愚かさを感じるようになりました。
ただ、怒らないのではなく、自己中心的な怒りとそうでない怒りの、使い分けがすこし分かる気がしてきたのと、自己中心的な怒りを、なくすようにしたいと考えるようになったことが、私の中での変化です。
たぶん、年齢を重ねたことの影響の方が大きいと、自分では信じたいのですが、どうかはわかりません。