ダライ・ラマの話を聞いた。

ダライ・ラマは、大野一雄先生(舞踏家)の稽古場に、写真があり、その目。目がどこにあるか。ということをやってるんで、本物のダライ・ラマに会いたいと思って、講演会に行った。
彼(ダライ・ラマ)は、心と、物質の世界をはっきり、区別した上で、心の世界のことを話した。その2つに別ける明快さが、本質だと感じた。
(言葉にすると、当たり前だが、それを実践してる人の言葉を聞いたのは、明らかに違う影響があった。自分の想像や、本を読んだり、映像を観たりすることとは、全く違うことだと知った)
@兵器をなくすには、それぞれの人の心の中の、争いの気持ち(こころで、武器を持つこと)をなくさないと、いけない。
A物に対する欲望は、限界がある。欲望の対象が物であること自体が限界をもたらしているし、それを受容するほうにも(物体としての)限界がある。しかし、心については、知ろうとすると、奥深いので、その欲望には、限りがない。
B私(ダライ・ラマ)も怒りの気持ちが沸く。その時には放っておくようにしている。そうすると、だんだん、なくなってくる。
C愛が大事である。
D良い心で行ったか、悪い心で行ったかが最大に重要である。

彼は、世界の平和を祈っている。わたしには、うわべのことばで、そんなことを言っているのではなく、”世界の平和”という概念が、現実のものだと感じられた。
それは、子供の時に、世界制服をする悪者とおなじくらい、世界平和を守る気持ちを信じられたのに、今は、世界の平和とか、そんなことが思えなかったので、とっても世界が広がった。
その、現実感がどれだけ得られるかが、彼のワークなのだろう。

ダライ・ラマの講演の話(特に世界の平和を目指す人がいたという驚き=ウルトラマンに出会ったってこと)を、大野一雄舞踏研究所の一人の人に話したら、「えっ。そんなのあたりまえ。そのために踊ってるんじゃないの?」といわれた。
世界平和のために、踊れるくらいなら、苦労はない。世界の平和のためになんか、本当に踊れるのか?本当にそのために踊りたいと思ったら、踊れるわけがない。